※ちょっとロクセリ要素もありな考えがまとまってない話
前からあちこちで言っている気がするのですが私はロックの揺れ動く心の人間くさいところがとても好きなのです。が、そう言っている割に自分の描くロックは心にレイチェル成分が足りてなかったな…とロックお好きな方々とのお話で思った最近。
ロック、トレハンで明るく振る舞ってるけどなんとなく家族ももういない雰囲気があるので、そうすると拠り所がレイチェルだったのかな。(20代メンズだとエドガーとマッシュには兄弟とフィガロが(マッシュにはダンカン一家もある)、セッツァーもまだなんとかブラックジャックがあるかなと…)おそらくまだ若いうちにそのレイチェルも失ったからこそ、他の拠り所もなく真面目で優しいが故に自責の念も強くて抱え込んでいるうちにこの自責が存在意義となっちゃったような根深さの視点が抜けていた気がする。そしてセリスも拠り所が失くなったところでロックという意義…あまり良くない言葉で言えば縋る先を見つけてしまった。ロックの「似ているんだ」は”<ロック自身>に似ている”の意味も込めている、というのをどこかで見たことある気がするのですがこういうことですかね…
まだまだ考えが足りない気がする。ロックも感情のグラデーションが大きくてだいぶ沼ですよね。





